「ひらかれる建築」(松村秀一、ちくま新書)がそれだ。これまで、伊東豊雄や隈健吾の書籍を読んだが、それとは一味違う。言ってみれば、私たちの生活とリンクした建築の在り方を語っているのだ。
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次にかつて、「「ウサギ小屋」等と揶揄されたような狭すぎるものが多くを占めているのではないか?」という疑問について。そもそも一戸の住宅に住む世帯の人数が年々少なくなっているのだから、かつて当たり前だった4人や5人の家族が住むのに手狭だった「箱」も、一人世帯や二人世帯の増えた今日では全く手狭でないという状況がある。厚生労働省の国民生活基礎調査によると、1953年に5人だった平均世帯人員は、2013年には2.51人になっている。また、1953年には最も多かったのは6人以上の世帯、次いで5人世帯だったが、年とともに世帯は縮小し、2013年には二人世帯と一人世帯が圧倒的で、その二種で過半を占めるに至っている。
ここで松村秀一が言及している通り、人口減少が進んだ現在では空間資源が潤沢となり、さらに空き家問題として発展している。戸建て住宅の視点から見ると、空き家対策が重要となるが、現在でも戸数が増え続ける共同住宅の老朽化問題はさらに深刻である。戦前の長屋と異なり、マンションというのは戦後日本が個人主義へ傾倒する中で普及してきた居住環境であり、制度化によるコミュニティの形成が必要な状態なのである。しかし、制度化が実現する前に、建築物としてのマンション老朽化が進み、さらにはコミュニティとしての管理組合の高齢化が進行している。結果、マンションコミュニティでは、もともとの無関心に、老齢化に伴う被支援者の増加が重なり、にっちもさっちもいかない状態になりつつある。建築物としてのマンションが内包する一戸一個の住戸が孤立した状態なのである。実はこの問題に対しては、国交省がすでに対策を検討している。
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第三世代の民主化の時代、そこでは新たに建物を造ることから、既にある空間資源を利用して暮らしや仕事の「場」を造ることに重心が移る。主役は生活者である。とすると、私のように建築を専門としてきた者は、自身の役割をどのように自覚すれば良いのだろうか。建築界が職能と呼んできたものが大きく見直しを迫られているだろうことは、多くの人の感じているところだと思うが、見直し、転換の先が見通せない。ただ、第二世代の民主化、脱近代の時代に現れた言説の中には、いまだからこそ政治的な意図等とは無縁に援用できるものが多くあり、それを手掛かりに少しでも見通しを良くすることができると、私は考えている。
※もし、この本をすでに読んでいるならお気づきだと思うが、この本にはマンションに関することは殆ど書かれていない。実はこの本の著者である松村秀一氏は、既に2001年に「団地再生」という書籍を著している。おそらく集合住宅における空間資源の問題はすでに言及済みであり、「ひらかれる建築」ではそのスコープを社会そのもの、そして時代に適用しているようだ。